「命が失われること」「生活が奪われること」「ふるさとが失われること」
こんにちは。
山田かずまさです。
8年前の2011年4月も、統一地方選挙の年であり、父である山田一海市会議員の選挙を手伝っていました。8年前の今日、3月11日に起きた、東日本大震災の影響で計画停電が行われる中、選挙カーの自粛など、全く違う雰囲気で選挙が行われたことを覚えています。
当時、私は、弁護士の仲間に呼びかけて、「法律家が被災者支援において何ができるのか」をテーマに勉強会を開いたり、支援金を送る活動を行っていました。
また、いてもたってもいられず、5月の連休中2日弱にすぎませんでしたが、宮城県気仙沼で震災ボランティアとして活動しました。
夜行バスで、早朝、気仙沼駅に到着した時、駅周辺は被害が少なく、不思議な感じがしましたが、港に近い、市の中心部に向けて5分程歩いていくと、言葉を失う光景を目の当たりにしました。基礎のみ残して流されていた建物、打ち上げられた大型船、救助隊が生存者を確認済みとスプレーでマーキングした無数の車の残骸。視界いっぱいに「死」や「不在」が満ちた光景に、どんな感情を持って良いのか分からないまま立ち尽くしていたのを覚えています。
あれから8年たち、自分の街を歩き回る中で、今も鮮明に蘇るのはあの光景です。「命が失われること」「生活が奪われること」「ふるさとが失われること」。そして、その出来事は、「たまたま」自分の街ではなかっただけで、どこでも常に起こりうることであること。あの場所の「匂い」「光景」の記憶は、そのことを常に思い出させます。
災害を前に人間は無力かもしれません。そして、その人間の営みである「政治」ができることも大きくはないのかもしれません。
しかし、あの震災で亡くなった、1万5893人。この数字を、1万5892人に、1万5791人にすることができる、最も有効な方法は「政治」しかないと確信しています。
横浜で、鶴見で、「政治」の道を志した者の義務として、「防災」「減災」に取り組んで行きたいと思っています。
この街はまだまだできる。どんどんやれる。
一緒に鶴見の未来を考えましょう。
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